プロフィール

初めまして、もっちゃんです。

このブログ記事を書いている人はどんな人だ? そう思ったあなた。このページを読んでいただければ、僕がどんな人生を歩んできたのかわかると思います。
興味を持っていただいた方は是非このプロフィールを読んで下さい。

2018年11月現在、プロフィール執筆中で、これから加筆、修正を加えていきます。

ざっくりプロフィール

1985年生まれ

小学4年生の時に家庭の事情で大阪府から福井県に引っ越す
アルファベットのA~Zが書ければ点数がもらえるド底辺高校に通う。ヤンキーに目をつけられて、2回自転車を破壊される。
ド底辺高校を卒業しながらも簿記の勉強は努力して、専門学校に進学。全経上級簿記に合格
専門学校から関西の私大に3年次編入学
編入後、まだ合格していなかった日商簿記1級の試験を受ける。結果は合格。
1年休学してオーストラリアでワーキングホリデー
卒業3ヶ月前にメーカーから内定をもらう
メーカー営業の仕事が合わず1年10カ月で退職
インド一人旅
旅行会社で経理として働くも、ブラックな環境に耐えられず1年で退職
高原野菜の収穫のアルバイト
地元の製菓工場で働き、意外と工場での仕事に適性があることに気づく
サテライトオフィスの多い田舎町で数か月生活してみる
沖縄一人旅中に「期間工」という働き方を知り、興味を持つ
2015~2017年にデンソー期間工として働き、450万円貯金することができた
2017年、フィリピンのカジノでポーカーを経験する。滞在期間は3週間ほど。毎日8時間ほどポーカーをプレイしていた。
株式デイトレーダーになろうと試みる。機材や学習費用など総額100万円近く投じるも、勝てない日々に焦りを感じる。仕事をしているのにお金が減ることに耐えられなかった
再び期間工になろうと決め2017年12月から再び期間工として働き始める。
2018年11月、プログラミングを本格的に学ぼうと覚悟を決める。会社に縛られない自由な人生を手に入れるためプログラミングを学び始めた。

趣味
・映画鑑賞
好きな映画は、バタフライエフェクト、バックトゥザフューチャー、マトリックス

・音楽鑑賞
主に洋楽。billboard top40が大好きでよく見ていた。邦楽も聞くがほとんど宇多田ヒカルのみ。2018年宇多田ヒカルのコンサートツアーlaughter in the darkに当選。2018年は宇多田ヒカルのコンサートツアーを楽しみに毎日を生きた

・ツーリング、ドライブ
以前、友達とS2000をレンタルして天井をオープンにして、爆音でイニシャルDで使われるユーロビートを流しながらイニシャルDの聖地を巡った。

・旅行
特に一人旅が好き。何者でもない自分を「もしかして自分ちょっとイケてるかも?」と思わせてくれる旅には中毒性がある。

小学生時代

大阪で生活していました。どちらかというとやんちゃな性格で先生には迷惑かけたなと思います(^^; 大人になってからわかったことですが、母親の性格が僕に大きな影響を及ぼしていたようです。

小学校4年生の時に福井県に引っ越しました。この引っ越しがきっかけでつらい経験をしました。祖父、祖母と両親のケンカ、両親同志のケンカ、もうほんとにケンカの絶えない毎日でした。ただ両親についていくしかできない、決定権を持たない子供にとっては本当につらい毎日でした。

大阪にいたころは、勉強はまったくできませんでしたが、福井に引っ越してから成績が上がりました。大阪では1クラス40人、1学年4クラス、全校生徒は900名ほどいました。引っ越し先の福井県の小学校は1クラス8名ほど、1学年1クラス、全校生徒は60人にも満たない小さな小学校でした。成績が上がったのは、すでに大阪にいる時に習ったことを再度学習したからということ、先生1人が担当する生徒が少なかったことが要因だと思います。

中学生時代

中学時代も暗黒でした。オードリーの若林さんがナナメに構えていたのと同じで、僕もどこかナナメに構えていたところがありました。文化祭などの行事はまったく好きになれず、みんながワイワイやっているなか、舞台袖で横になって寝ていたのを覚えています。

勉強は全くできませんでした。家庭環境的にもまったく勉強できるような状況ではありませんでした。そして、僕は漫画やゲームにどっぷりとハマりました。特にRPGゲームを好んでプレイしており、1日のプレイ時間が14時間以上になることもありました。

起きているときは、ごはんを食べているか、風呂に入っているか、ゲームをしているかのいずれかでした。
典型的なキレる子に育ってしまい、僕は記憶にないのですが、一度ブチキレてハンマーを持って暴れそうになったことがあったそうです。「いつかあの子に殺されるかもしれへんわ」そう母親が言っていたがあると妹に聞きました。

当時は、本気で高校に進学するつもりがありませんでした。勉強が嫌いだったので、頭を使わず、体を使う仕事をしようと考えていました。
しかし、結局受験をして高校に行くことになりました。地元ではA、B、C、Dと高校がありましたが、僕は一番レベルの低いDの高校を受験して、D高校に通うことになりました。

高校時代

とんでもない高校に入学してしまいました。ヤンキーかオタクしかいないド底辺高校でした。生徒の質も低ければ先生の質も全体的に低かったです。問題のある生徒が通い、問題のある先生が教える、問題のある学校でした。もちろん、その学校に通っていた僕も「問題のある生徒」だったと思います。

大人になってから出身高校のことを調べてみると全国でも下から数えて10以内に入るほどのド底辺高校だということがわかりました。あるお笑い芸人はその学校を中退していて、そのことをネタにしていました(笑)お笑いのネタになってしまうくらいのレベルの低いの高校でした。

今でも鮮明に覚えていることがあります。それは、入学して最初の英語のテスト、アルファベットA~Zまで書ければ点数がもらえたことです。高校の英語のテストでアルファベットが書けるだけで点数もらえるとか、普通ないですよね(^^;

入学時に生徒は30名ほどいましたが、卒業時には21名ほどでした。9人ほど中途退学しました。中途退学率1/3の高校はなかなか珍しいのではないかと思います。
ド底辺エピソードはほかにもいくつかありますが、悲しくなってくるのでこの辺にしておきます( ノД`)シクシク…

僕が通っていたのは普通科ではなく、就職を前提とした職業科でした。国語、数学、英語、社会、理科の他に簿記、ワープロ、電卓などの商業科目を学びました。
物事は積み重ねです。中学校時代にまったく勉強をしていなかった僕は、物事を考える時に必要な基礎学力という大切な土台が抜け落ちています。土台がしっかりしていないのに、上に物をのせてもうまく積み上げられるはずがありません。
そういうわけで普通科目は高校にいってからもまったくといっていいほど、ダメダメでした。

しかし、高校から新たに習い始めた商業科目だけは違いました。基礎から学ぶことができたので、成績もよかったです。そこで初めて勉強しようと思いました。放課後、毎日残って簿記の勉強をしていました。その結果、全商簿記1級に合格しました。地元で一番頭のいいA高校の商業科でも1級はなかなか取れないといわれていたので、とてもうれしく思いました。

得意なことを活かした仕事をしようと思い、税理士を目指すことにしました。こんなド底辺高校から税理士を目指すなんて、今から考えればとてもクレイジーですが、当時はやる気に満ち溢れていたので、そんなことは感じていませんでした。

大学に行くという選択肢も20%ほどありましたが、学習期間が2年間と大学よりも短く、一般教養などなく会計だけを学ぶ専門学校が税理士への近道だろうと考え、専門学校に行くことにしました。

専門学校時代

簿記会計の専門学校に行きました。税理士の試験を受けるためには日商簿記1級もしくは全経簿記上級を取得する必要があったので、まずは簿記1級合格をめざして勉強しました。無謀にも2ヶ月で日商簿記1級合格を目指すコースに入りましたが、見事に落ちました。

毎日10時間以上簿記の勉強をしていましたがまったく手がでませんでした。その1か月後に全経簿記上級を受けるコースにいきたかったのですが、講師に1か月後に「上級を受けるクラスではなく、半年後に上級を受けるクラスに行った方がいい」と言われてやむなく半年後に上級を受けるクラスに移りました。合格率の兼ね合いもあったのでしょう。受かる見込みのない人を受けさせたくなかったのだと思います。

日商簿記1級に落ちてから半年後の全経簿記上級に合格して、めでたく税理士受験コースに移行することができました。しかし、この頃、自分の実力に限界を感じていました。税理士を受験するための資格は取得したものの、それ以上難易度の高い試験に合格できる気がしませんでした。また、会計事務所の待遇はとても悪いです。会計事務所で薄給で何年働きながら受験して合格できなかったらどうしよう? 仮に5年間そんな生活をして、ついに合格できなかったらどうしよう? そうなるくらいなら一般企業に就職して普通に働いた方がよいのではないか? そう考えるようになりました。

そこで、税理士コースから就職コースへ移りました。マイナビやリクナビに登録して受けたい企業を探しました。その時に初めて気づきました。

「あ、大学に行ったほうがいいのか。」

底辺高校に通っていた僕は大学に行くと行かないとでどのように就職活動に差が出るかなど、全く知りませんでした。就職コースに移って就職活動を始めて、受験したい企業を見ていくと、応募要件にほぼ必ず「4年制大学卒、もしくは大学院卒」とありました。僕が知名度で会社を選んでいたからということもありますが、その記載をみることが多かったです。
せっかく興味のある企業があっても応募要件に「4年制大学卒」いう記載を見るたびに「ここもか」と肩を落としました。

父親に相談して「自分のお金で行けるならいってもいい。」と言われたので、自分の学費で行ける大学を探しました。1年からやり直したかったのですが、時間、お金のことを考えて3年次編入をすることを考えました。塾に通って関西大学、立命館大学など有名大学に行きたかったのですが、時間的、金銭的制約から諦めました。

大阪にある大学で夜間で学費が年間50万円で済む学校があることを知りました。その大学の編入試験を受けることにしました。

大学時代

関西にある私立大学の夜間部に3年次編入しました。大学に行くとなると1年からというイメージがあるかもしれませんが、専門学校や高等専門学校を卒業している場合、3年次編入という選択もあります。要件を満たせば3年次編入できます。

とにかく「大卒」という肩書を手に入れるために自分が入れる大学に行きました。しかしながら、今度は「どの大学に出ているかが重要だ」ということに気づきました。本当に学習能力が低い自分に嫌気がさしました。ちょっと考えればわかることなんですけどね。関東であればMARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)関西であれば関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)くらいにいってないと就職活動で苦労します。「学歴フィルター」なるものが存在していて、一定レベル以下の大学の学生が説明会に申し込みをしても「満席」と表示されるようになっているのです。

そこで、色々調べていると会計専門職大学院というものがあるということを知りました。わりと新しく設立されたものでこの大学院を出ると会計士試験や税理士試験の科目が免除されます。

僕はいわゆる「学歴ロンダリング」をするために立命館、関西大学の会計専門職大学院に行こうか迷っていました。

そんなとき僕の友達の兄が自分が卒業した大学とは別の大学院にいっていたことを思い出し、相談しようと思いました。友人の兄や東北にある公立大学を卒業しましたが、大学院は慶應義塾大学の大学院に進学していました。

この時、自分が考えていること、悩んでいることを一通り電話で話すと友人の兄に

「君は社会にコントロールされている。いい大学に行って、いい会社に行くことだけが幸せではない。君は君自身の幸せを見つけるといいよ」

その数か月後の夏、地元で友人の兄と会う機会がありました。その時友人の兄は「君にぴったりな人を連れてきたよ」といって一人の男性を紹介してくれました。友人の兄は同じように東北の公立大学にかよっていました。最初は全然興味がわかなかったそうですが、ある時をきっかけに人が変わり興味を持つようになったそうです。

友人の兄の友達はワーキングホリデーをしたことで人生が変わったと教えてくれました。彼は豊田通商、キーエンス、ベンチャー企業から内定をもらい、最終的に豊田通商に入社することを決めました。彼の話を聞いて、「もしかしたら僕もワーキングホリデーをすれば人生が変わるかもしれない」今から考えればびっくりするほど単純な発想ですが、当時は本気でそう思ってワーキングホリデーをすること決めました。大学を1年間休学しました。半年間はワーキングホリデーをするためのお金を貯め、半年間ワーキングホリデーをしました。

結局、僕は彼のように素質がなかったのか、特に大きな変化があるわけでもなくワーキングホリデーを終えて就職活動を始めました。

就職活動では、今から考えると三流大学の学生が受けるとは思えないような一流企業やベンチャー企業ばかりを受けていました。本当にドあほうでした。
僕が受けていたのは下記のような企業です。

日立製作所、三菱UFJ証券、帝国データバンク、野村総研、コクヨ、キーエンス、リンクアンドモチベーション、NEC、リクルート、DeNA、日本電産、マクロミル etc…

これは、去年実家で本やノートを整理していた時に出てきた就活ノートを見た時に記載されていた企業です。今だったらこんな企業絶対に受けないですね(笑)だって三流大学で、特別な体験や経験なく受かる企業ではないですからね。

このように、当時の僕は現実が全く見えていなかったので就職活動ではとても苦労しました。最終的に大型設備を取り扱うメーカーからなんとか内定をもらって、卒業までに就職活動を終わらせることができました。

メーカー営業時代

入社する前から不安だったのですが、社宅入居、新入社員研修、と進むにつれ「あ、アカンわ、この会社」と思うようになりました。

僕の仕事は主に見積書の作成と納期の調整でした。顧客から製品の見積依頼があると技術部門に要望されている仕様を伝えて、その資料を基に見積書を作ります。

納期の調整は本当に大変でした。顧客からは「急ぎでお願いします」と言われて、それを工場の担当者に伝えると「そんな短い期間でできわけねぇだろ!」と怒られます。この顧客と工場の間に立って落としどころを探して最終的にまるく収めるのが本当に大変でした。実際に自分が製品を作るわけではなく、ただ工場に「なんとか納期を短くしてもらえませんか」とお願いすることしかできないことがとてもつらかったです。自分でものを作るのであれば、残業でも徹夜でもなんでもして間に合わせることはできるかもしれませんが、そういうわけにはいきませんでした。

僕は向いてない仕事を1年10か月もやったのですが、今から思い返してももっと早くやめるべきでした。遅くとも半年で辞めるべきでした。

「ここでダメだったらどこにいってもダメだぞ」「とにかくどんな仕事も3年は続けないとダメ」

このような呪文に僕も縛られていました。「この仕事、自分に向いてないな」と思っている人(特に若い人)は自分に合わないと思ったらすぐに辞めていいと思います。上司や世間に「ここでダメだったらどこにいってもダメだぞ。とにかくどんな仕事も3年は続けないとダメ」と、言われても気にすることはありません。人生の時間は有限です。間違えたと思ったら素早く損切しましょう。

趣味

・音楽鑑賞
主に洋楽を聞きます。高校生の頃からよくtvk神奈川のbillboard top 40を見てました。VJ中村真理さんの小ネタも好きでよく聞いていました。現在も遅くまで起きているときは視聴します。早くDVDレコーダーを買って録画できるようにしたいです。

邦楽はほとんど聞きませんが、宇多田ヒカルは今も大好きでよく聞いています。2018年にはライブツアー「Laughter in the Dark 2018」に参加しました。やっと本人に会えたこと、目の前で宇多田ヒカルが歌っていること、声の美しさなどから感情が高ぶって自然と涙があふれてきました。歌声でここまで人を感動させることができる彼女はやっぱり特別な存在だと思いました。

・映画鑑賞
特に好きな映画は
バタフライエフェクト
バックトゥザフューチャー
マトリックス
96時間(Taken)
マッドマックス 怒りのデスロード
です。

・旅
旅には中毒性がありますよね。海外旅行は特に中毒性があります。言葉の通じない国で不慣れな英語で話したり、周りの人に助けてもらったりしながら宿をとったり切符をかったりしていると、人生の主人公は自分だということを強く感じさせてくれます。困難を乗り越え、自ら人生を切り開いている感覚が味わえます。日本では何者かになることができなかったとしても、海外を旅するだけで何者かになった気にさせてくれます。自分の成長なしに旅に溺れることは逆に自分の成長を妨げてしまう危険性もありますね(^^;
今は、旅に頼らず、学習によって自分を成長させたいと感じてます。

・ドライブ、ツーリング
車やバイクに乗って出かけるのが好きです。以前、友人とS2000を借りてイニシャルD聖地巡礼ツアーに行きました。オープンカーでイニシャルDで使用されるユーロビートを爆音でならしながら峠道を疾走しました。想像以上に楽しかったです。
最近は高級車や普段乗ることができないような珍しい車やバイクに乗れるようなレンタルサービスも増えてきているので積極的に利用してみたいです。

~現在

現在は2回目のデンソー期間工です。期間工歴は、他のどの職業よりも長く、2018年11月現在で、約3年間期間工として働いたことになります。2019年3月に退職予定ですが、2019年3月まで働くと3年3ヶ月期間工として働いたことになります。

給料が高く、作業が単純で、理不尽なことが少ないことで飽き性な僕でも続けることができたと思います。

期間工として働きつつ、平日の空いた時間、土日にはブログ記事を更新したり、プログラミングの学習をしています。プログラミングはオンラインサロンとProgateというサイトを利用して学習しています。

今回デンソー2回目の期間工を始めた当初は、期間工としてお金を稼ぎつつ、その稼いだお金をすべて株式投資に回して40歳までに1億円つくってセミリタイアする予定でした。しかし、セミリタイアまで時間がかかりすぎると感じて方向転換することにしました。

2018年10月に株価が大きく下げたことを受けて、やはり今は投資で資金を増やす段階ではないと感じました。たかが数百万程度のお金を運用して数千万、億の資産を目指すより自分に投資して、月に50万円くらい稼げるスキルを身に着けた方が賢い選択だと感じました。

ある時から「好きなことを仕事に」という呪縛にとらわれていました。しかし、この数年で、自分にやりたいことや好きなことはないけど、嫌いじゃない仕事で生計をたてるという選択肢があるということに気づきました。

僕には理想とするライフスタイルがあります。その理想とするライフスタイルを手に入れるためには、プログラミング、アフィリエイトなどITの知識が必要不可欠であると感じ、ITの知識を学ぶことにしました。

ITの知識を身に着けて、場所を選ばず、自由に働くことができれば期間工としてはたらく期間を短縮することができます。まとまったお金を作るために期間工として多くの時間を費やすより、最初の数年は低収入が続いても2~3年で自由を手に入れられる可能性のあるITに賭けてみることにしました。

直近の目標はプログラミングを学び2019年中にIT業界に転職することです。転職したらモーレツ社員になって知識と経験を蓄えて、2年を目途に独立をしてフリーランスエンジニアとして場所を選ばず働けるような状態を作りたいと思っています。